コラム

対談シリーズ vol.02
八王子の染色文化と未来を語る
橋本陽子 × ふなき翔平

更新日:2025年4月28日

ふなき翔平が、いま話を聞きたい人を尋ねる対談シリーズ。第二弾の対談相手は、八王子で染色を続ける橋本陽子さんです。

かつて「桑都(そうと)」と呼ばれた八王子は、養蚕と織物の文化が根付いた街。そんな歴史を受け継ぎながら、染色の可能性を探求する橋本さんと、農業を軸に八王子の未来を考えるふなき翔平が出会い、「染め」と「農業」をつなぐ視点が生まれました。そして、ふたりをつないだのが、奥田染工場の4代目・奥田博伸さんでした。ものづくりと地域のつながり、八王子の文化をどう未来につなげていくのか——。「染め」と「農業」、異なるフィールドに共通する想いを語ります。

橋本陽子さんについて

橋本陽子さん(はしもと ようこ)
21歳で専門学校を卒業後、スイミングスクールのコーチや花屋、車のディーラーなどで働く。28歳で結婚後、保育園でパート勤務をしていたが、その後1年半ほど引きこもり生活を送る。転機となったのは37歳のとき。有松鳴海絞りの師匠・小柳津千代氏と出会い、染色の道に進む。染色を続けながら、知的障害施設の手伝いやファッション専門学校の講師を務めるほか、奥田塾にも参加し、染色の技術や知識を深めた。53歳で自分の作業場を持ち、講習や服作りをしながら、故・奥田博伸氏と繊維産地を巡り、多くの職人や素材と出会う。そのつながりをきっかけに、イベントや講習会のサポートにも積極的に関わっている。

染めと農業の交差点で出会う

橋本
え、私が対談相手? なんで? なんで?(笑)

ふなき
ははは。 実は橋本さんとの出会いが、
農業と染色を組み合わせて考える
きっかけだったんです。3年前の夏、
畑でシルク染めのイベントを企画しましたよね。
あのとき、染色の可能性を強く感じて、
「もっとやってみたい」と思ったんです。

橋本
うわー、ありがとうございます。
あのイベント、楽しかったですよね。
私、田舎育ちで畑作業も慣れてるから、
自然の中で何かをするのは
絶対に面白いだろうなと思ってたんです。

ふなき
橋本さんっていつも楽しむ姿勢があるから、
すごく刺激を受けます。
僕も、一緒に楽しめる人とじゃないと
続かないタイプなので、
仕事はまず自分が楽しむことが
大事だなって思います。

橋本
「染色」は、人がつながる
ツールになるんじゃないかなと。
農業もそうだけど、見えないところで
人と人がつながってるじゃないですか。

ふなき
まさにそれです。
八王子は「織物の街」だからこそ、
「染色」で人がつながる可能性がある。
この地域で、ヒト、モノ、コトを
どうつなげていくか、ずっと模索しています。

橋本
ふなきさんと出会ったのは
2019年くらいでしたっけ?

ふなき
八王子モーモー体験農園」が
できたばかりの頃ですね。
藍染めのイベントをやったんですよね。

橋本
そうそう!
蓼藍(タデアイ)の生葉を使って染めました。
羊の毛を実験的に染めたりもして。

奥田博伸さんとの出会い

橋本
奥田さん、亡くなったのは去年でしたね。
(※この対談は2024年末に行いました)

ふなき
そう、2023年10月でした。
僕よりちょっと年上で、40歳くらいだったかな。

橋本
今日はせっかくだから、
奥田さんのつくった服を着ようと思って。
プリントデザインもシルエットも
すごくいいんですよ。

ふなき
僕も気に入ってます。

ふなき
奥田染工場の4代目、奥田博伸さんとは、
7、8年前にある雑誌の企画で出会いました。
それからしばらく間が空いたんですが、
久しぶりに再会したんです。
そこから、染めと農業の話が
どんどん広がっていきました。

橋本
私が奥田さんと出会ったのは、
彼のお父さん、3代目の時でした。

奥田染工場は「奥田塾」っていう、
染色を学びたい人が学べる場を
工場の中につくっていて。
あそこは特別な場所でしたね。

ふなき
奥田さんは、全国をまわって
職人たちとつながりながら、八王子を拠点に
ネットワークをつくろうとしていましたよね。

橋本
そうそう。
彼のドライバーとして、
一緒に東北や関西、広島まで
まわったこともあります。

八王子はもともと絹織物の町だけど、
産業が衰退しているから、
それらをなんとかつなげて、
中央にも広げたいっていう思いが
あったんだと思います。

ふなき
奥田さんといえば、
香取慎吾さん、稲垣吾郎さんが出演した
ビールのCMで使われた着物が印象的ですね。
あれ、奥田染工場で染めたんですよね?

橋本
そう。あれ、私が反物の地染めをやりました。
ターコイズの鮮やかな色に仕上げるのに苦労しました。
均等に染めるのって本当にむずかしくて、
一反は失敗しちゃったから
自分で買い取ったんですよ。

ふなき
ええ!それは大変でしたね。
でも、そのこだわりが
あの美しい色につながったんですね。

橋本
そうですね。
あと、舞台衣装の染めもやっています。
バレエやミュージカルの衣装とかね。
でも、それで生活しているわけじゃなくて、
仕事が重なるときは重なるけど、
基本は好きでやってるんです。

ふなき
本当に情熱でやっている仕事ですね。

橋本
染色って天気や気持ちに左右されるから、
今日はやらない! って決める日もある。
やっぱり自然光で色を見ないと失敗しちゃうから。

結局、納得いくものをつくるには、
自分のペースを大事にするしかないんです。
焦ってもダメ。じっくりやれる環境を
自分でつくるのが一番なんだけど、
それが大変なことでもあるんですよね。

私はリーダーをサポートするのが得意なんですよ。
「これ必要じゃないですか?」って先回りすると、
「どうしてわかるの?」って驚かれることもあって。
でも、流れを見ていれば自然とわかるんです。

ふなき
それ、すごい能力ですよね。

橋本
だけど、ひとりで作業するときは集中したいから、
周りに人がいるとできない。
でも、人の中にいると
「はいっ!」って動くのは得意なんです。

私を上手く使ってくれる人がいるといいんですよね。
トップには向いてないけど、
サポート役なら段取りを組むのが得意です。
ヒロくん(奥田さん)も、私をうまく使ってくれました。
頼まれなくても、気づいたら動いてる 笑

ふなき
そういうのって、経験から身についたんですか?

橋本
師匠のおかげも大きいですね。
専門学校で染色を教えていたときも、
「仕事の8割は段取り」と学生に言ってました。
職人って、準備がすべてなんですよ。
師匠は真逆で、パッと入るアーティスト型でしたね。

ふなき
僕は、完全にアーティスト型です。
イメージが湧いたらパッと動くタイプ。

橋本
そういう人と組むのが一番いいんですよ。
言われたことに対して、すぐイメージを形にできるし。
経験があるから、いろんな人とも対応できるしね。

最初にふなきさんと出会ったとき、
農業一本でやっていく人だと思ってたんです。
でも、何か志があるように感じて、
面白そうな人だなって思ってました。
そしたら、市議に立候補すると聞いて、
「え? 農業やりながら市議?
どうやって時間をつくるの?」って。
驚きましたね。

ふなき
みんなに言われました 笑

橋本
農業って、それだけで
一日が埋まるくらい大変な仕事なのに、
地域活動もしっかりやってるし、
市議としてもちゃんと動いてる。

Facebookでネクタイ姿を見たとき、
「どうやってんだ?」って思いましたよ。
そんな中で、食と染色の話が出て、
「あ、私も役に立てるかも」と思ったんです。

ふなき
ありがたいです。
体験農園の仕事は「畑会」の山田に任せて、
自分が持っていた畑も後輩に引き継ぎました。

今は家の近くに新しく畑を購入して、
これから、その畑を拠点に新しいプロジェクトを
立ち上げようと考えています。

橋本
それはいいですね。

ふなき
畑は、都立小宮公園近くの「ひよどり山」にあって、
新しく農業を始めたい若い人が
集まれる場所にしたいんです。
農業って、スキルを身につけても
収入が安定するまでが大変で…。
だったら、仲間と一緒に
事業として取り組めるチームをつくって
ビジネスの展開を考えられる場にしたいなと。

一言で言えば、農業に関わる
組合的な組織を考えています。
東京都も「東京農業アカデミー」をつくったけど、
農業を学べる場をもっと充実させないといけない。
とくに、実働の人材が足りないんです。

橋本
日本って、人を育てるのが苦手ですよね。

ふなき
そうですね。現場の仕事って、
AIや機械化が進みにくい分野だから、
手を動かせる人が必要。

橋本
リーダー的な人も育てないとね。

ふなき
そうそう。
だから、サポートする人の存在も大事なんです。

八王子の織物文化とこれから

ふなき
八王子の魅力をもっと発信したいですよね。

橋本
「みやしん」さんとかね。
元「みやしん」代表の宮本英治さん。
すごい方なんですよ。

ふなき
橋本さんから見て、宮本さんはどんな方なんですか?

橋本
職人でありデザイナーでもあった方で、
最盛期には50〜60ものブランドの
仕事を手がけていたそうです。

宮本さんに見せていただいた
シャンブレーのストールには、本当に驚かされました。
たて糸とよこ糸の色糸が織りなす色は、
まるで虹のように絶妙で、
あの美しさは今でも忘れられません。

ふなき
おぉ、それはすごい。

橋本
宮本さんが手がける布は、
素材も表情も本当にさまざまで、
シンプルなものから凝ったものまで、
どれも魅力的でした。

ああいう職人がいるってことを、
もっと知ってほしいなって思う。
今はもう、その会社はなくなってしまったんですけど。

ふなき
確かに、そういう職人技を
もっと発信していけたらいいですね。
八王子には、まだまだすごい技術があるんだなあ。

ふなき
八王子の織物文化は、
桐生から伝わったと聞いたことがあります。

橋本
もともとは蚕や桑の栽培が盛んで、
生糸を横浜へ運ぶ道が
「絹の道」と呼ばれるようになったんです。
桐生や山梨からも生糸が運ばれてきて、
八王子は地理的に生糸の集積地となり、
織物の拠点になったんですよ。

ふなき
今の横浜線のルートも、その名残ですよね。

橋本
昔は桑畑がたくさんあって、
蚕を育てる農家も多かったみたいなんですよね。

繊維産業もすごく盛んで、
「織機が動くたびにお金になる」なんて
言われていた時代もあったそうです。

ふなき
儲かっていたんですね。

橋本
そうですね。
シルクのネクタイも有名で、技術力も高かった。
でも今は社会の移り変わりで、
機屋さんも本当に少なくなりました。

ふなき
一本一本、丁寧に並べて
価値を伝えることが大事ですね。
八王子の文化や歴史を背景に、
そういう部分も見直していきたいです。

ふなき
アンテナは常に磨いておきたいなと。
子どものころから絵を描くことが好きで、
絵を描くときは、その感覚が研ぎ澄まされますね。

新しいアイディアが湧いたときも、
まずは、ひとつの「絵」にまとめます。

橋本
あ、それ、私も同じ。
アンテナを張っていると、
必要なものが自然と入ってくる。
そこから動き出せるのよね。

ふなき
錆びつかせないことが大事ですね。

橋本
でも、年齢を重ねると、ちょっと鈍ってくるのよ。

ふなき
いやいや、橋本さんは常に新しい人と出会ってる。
アンテナはちゃんと立ってますよ。

橋本
そういう出会いには感謝してるけど、
ネットの情報だけじゃ新しい発見は少ないのよね。
会話が大事。

ふなき
八王子って閉鎖的な部分があって、
新しい風を入れるのがむずかしいですよね。

最近、都内で農業公園をつくる動きがあるんです。
調布や多摩市、町田も動いていて、
八王子でも、話題に出てきますよ。

橋本
そうなんだ。

ふなき
でも、運営をどうするかが課題なんです。
畑を管理する人はいるけど、
農業公園としての機能を整えるマネージャーがいない。

橋本
マネージメントできる人が必要ね。

ふなき
そういうことのできる人材を育てたい。
例えば、自治体同士で
職員の交流があればいいのになって。

橋本
横のつながり、大事よね。
八王子はそこが弱い気がする。

ふなき
市の職員が学び合う環境をつくれたら、
農業も含めて地域全体が成長するはず。
「みんなでやろうぜ!」ってね。

八王子の未来を考える

ふなき
八王子の未来について、
どんなイメージを持っていますか?

橋本
活気がある街になってほしいですね。
昔は甲州街道沿いにもたくさんの店があって、
歩くだけで楽しかった。

でも今ってマンションや駐車場、
シャッターが閉まった店ばかり。
駅前に人はいるけれど、あまりお金を落とさず、
結局は新宿や立川へ流れちゃう。
八王子には横浜線や八高線もあるのに、
ただの通過点になっている気がするんです。

ふなき
確かに、八王子は交通の要所ではあるけれど、
街としての賑わいは減っていますよね。
商売のやり方が変わったことも大きいですね。
昔の八王子は、それぞれの地域に
特色があったんですよ。
15の宿場町があって町ごとに独自の文化があった。

橋本
でも今は、町の個性が薄れてしまった気がする。

ふなき
だからこそ、町ごとの特色を
もっと打ち出すべきじゃないかなと。
八王子全体をひとつに捉えるのではなく、
各地域の良さを伸ばしていく方が期待もてそう。

橋本
その視点は面白いですね。
昔から町ごとのつながりは強かったから、
それを活かせばいいかも。

ふなき
八王子駅前の町は、特色を出しやすい気もします。
街全体の発展につながっていくんじゃないかな。

橋本
駅前だけでなく、
街全体を見据えた取り組みが必要ですよね。

ふなき
八王子の魅力をもっと発信して、
外から人が来たくなるような
街にできるといいですね。

橋本
うん、ぜひやってほしい!

(文|平井サトシ、撮影|市村智宏)